じつは残酷なおとぎ話「一寸法師」。隠された “歴史の真実”とは?
日本史あやしい話13
■鬼=「新羅人」だった!?
まずはこれまでに登場したキーワードを整理することから始めたい。主役の一寸法師。そして、その両親に当たる翁と嫗、両親が祈願した住吉大神、一寸法師に退治された鬼、転がり込んだ三条の宰相殿とその娘、謎めいた名前の「輿がる島」というあたりだろうか。
最初は、一寸法師から。身長が一寸しかなかったというような小さい人物が主役となるお話、いわゆる小さ子物語には、コロポックルを始め、瓜子姫(うりこひめ)、豆助、踵太郎(あくとたろう)、すねこたんぱこ、かぐや姫、指太郎、等々、多くの物語がある。
この小さ子の原点ともいうべきが、『古事記』や『日本書紀』に登場する少名毘古那神(すくなびこな/少彦名命)であるというのは多くの識者が指摘するところである。ガガイモの実を舟代わりとして美保の御大の岬(島根半島東端)へとたどり着いたという小さ子。
実は、天神とされる神産巣日神(かみむすひのかみ/『日本書紀』では高皇産霊尊)の子だったという。大国主神とともに国作りに励んだものの、事半ばにして突如、海の彼方の常世国へと旅立ってしまったことが『古事記』に記されている。後には、医薬の神、温泉の神、農業の神、禁厭(きんよう)の神、酒造りの神、漂着神等々、多彩な神格を持つというのも特異的である。
この少名毘古那神を語る上で欠かせないのが、その相方というべき大国主神だろう。ともに国作りに励んだことで知られている。この神が、後にヒンドゥー教の大黒天と習合したことに注目したいのだ。大国主神が大黒天ならば、もう一方の少名毘古那神が、同じ七福神の中の一柱・えびすと習合したと考えられても不思議ではない。
えびすの神格は福神である。一寸法師が打出の小槌を振って金銀を打ち出したとなれば、彼にも福神としての神格が備わっていたのではないかと思えてならないのだ。
その思いは、特に大阪人に強いようである。商売熱心な土地柄ゆえか、ここでは一寸法師を、まさにそのものズバリ、商売繁盛の神さまと捉えている。大阪市の中心街・道頓堀の浮世小路に、商売繁盛の神さまとして一寸法師大明神が祀られているのがその表れと言えるかもしれない。
また、少名毘古那神の神格の中で最も特徴的というべきが、漂着神だったというところだろう。海の彼方からやってきたという点から鑑みれば、海の神との関連も考えられそう。となれば、ここでもまた、一寸法師との共通点が見出せそうなのだ。
大海へと旅立とうとする心意気も然り。小さなお椀を大河(淀川)に浮かべて無事目的地(伏見)にたどり着いたというのも、漂着神あるいは海の神に見守られていたか、自身がその神格を備えていたからとしか考えようがないのだ。
このことから、一足飛びに「一寸法師そのものが海の神だった」と指摘する声があることも記しておこう。翁や嫗が祈りを捧げた住吉大神が海の神だったことから、「一寸法師=住吉大神」説まで標榜する向きもある。
その真偽はともあれ、一寸法師が出立したところとされるのが、大阪市住吉区にある住吉大社で、同社の吉祥殿奥にある境内社種貸社がその舞台だったとか。一寸法師像と大きなお椀が置かれているのも気になるところである。
なお、識者の中には、「一寸法師=住吉大神」というばかりか、この物語そのものを、かの神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征を象徴的に語ったものと見なす向きもある。一寸法師と結ばれた娘が神功皇后で、興がる島が新羅、鬼が新羅人という訳である。その陰に秦氏(元は伏見が拠点だった)の存在をチラつかせるというのも興味深い。
また、嫗を神功皇后、翁を武内宿禰(たけしうちのすくね)と見なし、二人の間に生まれた一寸法師を応神(おうじん)天皇と見なす説があることも付け加えておきたい。
■「藤原良相が三条の宰相殿だった」との説は本当か?
最後にもう一人語っておきたい御仁がいる。それが、一寸法師が転がり込んだ京の都のお屋敷の主・三条の宰相殿のことである。
そのモデルとなったのが、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の五男・藤原良相(よしみ)だった、との話を耳にした方もおられるのではないだろうか。857年に右大臣に就任して西三条大臣と呼ばれていたということも、裏付け材料とされたのかもしれない。
この御仁、敷地内に学問所を設けるほどの大きなお屋敷に住んでいたというから、一寸法師が目指すお屋敷としても不足はなさそうだ。史実としても、中納言であった伴善男(とものよしお/後に大納言)とともに太政官政治を牽引した有能な人物で、税制改革に尽力したことでも知られている。
若き頃のことであるが、小野篁(おののたかむら)が罪を犯した際にこれを弁護したことがあった。後に良相が病で苦しんでいた時、その恩返しとして良相を生き返らせたと、まことしやかに言い伝えられることもある。
いったん死んで地獄の閻魔(えんま)大王の前に晒された良相を、大王の補佐役として働いていた篁がとりなし、冥界から帰還させたとのことである。もちろん、これまた真偽のほどは定かではないが、そんな逸話が伝わるほど二人の仲が密であったというべきか。
そしてもう一つ気になるのが、一寸法師と結ばれた娘が誰だったのかというところだろう。良相には少なくとも三人の娘(多賀幾子、多美子、三松俊行室)がいたが、そのうちの誰が一寸法師と結ばれたというのだろうか?
……とまあ、こんな風に考え始めると、妄想が際限なく膨らんでいってしまうのである。あやしげなるお話といえども、わずかな糸口を見つけて、少しずつ謎めいた歴史を推理していく。こんな作業も、歴史ファンにとっては、たまらなく面白いのだ。
※画像:『御伽草子』第19冊 (一寸法師),刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2537587 (参照 2023-08-03)を編集部にてトリミング
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